東京の感染者数286人。
Go Toキャンペーンは、東京を除外することで、22日からスタートするとのことです。
経済のことなどを考えなければ、もう一度「緊急事態宣言」を出した方がよいかもしれないというのが、東京都に住んでいて感じることです。
私の予想でしかないのですが、以下のような悪循環に日本は陥っているような気がします。
・経済のことをないがしろに出来ないから、政府は緊急事態宣言を出せない。
・緊急事態宣言が出ていないから、以前のような経済活動をしている、又は、しようとしている。
・経済活動を営み続けることによって、新型コロナの感染が拡大する。
この3つの事象が、くるくると絡み合いながら回っているのではないかという印象です。
そんな中、少し考えたことを綴ってみようかと思います。
経済も、コロナも少しずつ
今までのような、経済活動に戻るのは、実感として、しばらくは無理そう・・・
というのが、私の印象です。
このまま経済活動を戻せば、新型コロナの感染は収まることなく、増え続けていくような気がします。
経済活動を最小限にして、再び緊急事態宣言を出す、というのも現実的に不可能です。
経済活動を止めてしまえば、社会システムはたちいかなくなるでしょう。
国も、自治体も、会社も、個人も、おそらく金銭的に限界のように見えます。
私が思うのは、一人一人が少しずつ、或いは、結構大きな負担を引き受けつつ、バランスをとっていくしか、方法がないように思うのです。
今まで当たり前にあったことが、今はもうないのです。
人によっては、一度、すべてのことがゼロになってしまうくらいの覚悟をするときなのかもしれません。
一度退く勇気
私は経済的なことはよく分かりません。
政治家でもないので、国や自治体の立場は分かりません。
私が分かるのは、ごくごく小さな会社の経営者の気持ちと、個人としての気持ちとだけです。
いろいろなことがありましたが、何度も荒波にのまれながら、これだけは確かだなと思っていることがあります。
「退く勇気」です。
退いて、次の機会を待ちましょう、若しくは狙いましょう。
執着を少しずつ捨てましょう
多かれ少なかれ、人生は平坦ではありません。
私にとって、足かせになったことの一つに、「執着すること」がありました。
居所への執着
ここに住んでいたい、という気持ちは機動力を失ってしまいます。
いろいろな理由で、ここにいたいと思うことはたくさんありますが、動けなければ、災害に遭いやすい土地でも、社会的に環境がよくないところでも、住み続けてしまいます。
一度、動くことを恐れなくなると、臨機応変に行動することが出来るようになります。
責任への執着
お世話になった人への恩義、先祖代々の家業、会社の経営など、いろいろと責任を感じるような立場に立たされることはありますが、それを遂行することも、悪いことではないのですが、執着の一つなのです。
限界まで責任をとることを考えることは、人生にとってプラスになりますが、限界を超えたときには、流れに身を委ねることもまた、生き延びるための方法なのです。
責任感が強い人ほど、心が痛むことと思いますが、その気持ちを背負うこともまた、生きるということなのだな、とも思うのです。
経済活動への執着
仕事をして稼いだり、家事などの仕事をすることによって身分を保障されたり、何かしらの経済活動に参加すること、このようなことも執着なのだと思います。
このあたりの話になると、かなり手放すことは難しくなります。
生きていかれるのか、不安で仕方なくなります。
それでも、手放さなくてはならないことは、人生の中で起こりえるのです。
事故、病気、人間関係など、足下をすくわれる可能性は誰にでもあります。
ですから、経済活動への執着も、手放さなくてはいけない状況に陥れば、覚悟を決めて手放してきました。
もちろん、経済活動に参加せずに、楽して生きていこうというのは論外です。
人への執着
大切な人を、大切に思うこと、これもまた執着です。
私はこの執着が一番、断ち切るのが困難だと思っています。
でもこればかりは、自分の判断とは関係なく、別れはやってきてしまうものです。
執着を手放すのはかなり苦痛
自分が執着している物、事柄などを手放すときには、とにかく苦痛が伴います。
私の場合、否応なく執着していることから引き離されたという感じだったのですが、自ら執着を断ち切ることができた人は、本当にすごいと思います。
何が起きても、気持ちの整理が付かなくても、時間は続いていくのです。
なんて残酷なんだろうと思ったこともあります。
それでも、退く勇気さえあれば、次の機会を狙うことが出来るのです。
つらくても、状況が許されなければ一度退くこと、その決断が出来れば傷口はいずれ塞がっていきます。
家業が続かなかったり、会社を畳むこともあるかもしれません。
それでも、前に進むために一度退くのです。
安心して退きましょうといえないところが、人生のバンランスの難しいところなのですが、状況に身を任せることもまた、次の機会に巡り会うときには必要です、と、思うのです。
困難を乗り越えるときのパターン
何度かつらい思い、しんどい思いをしていると、気持ちの上で乗り越えられたり、物事が解決したりするときの雰囲気には共通する空気があるのだと思いました。
最大限の努力をすることが大前提となります。
できる限りのことをしてもどうにもならないとき、頭が真っ白になることがあるのですが、そのときの心理状態は、期待も出来なければ、不思議なことに不安も感じないという、妙な状態になります。
そうなったとき、物事の解決方法が思い浮かんだり、思いもよらない方法で救われることがあるのです。
慣れてくると、今は救いはまだ来ないなぁ・・・とか冷静に考えたりすることもあります。
若しくは、もうこれまでかと覚悟を決めたときに、急に流れが好転したりします。
私の経験では、病気も、お金のことも、仕事のことも、一定の精神状態に到達すると、もつれたひもがほどけるように解決していきました。
一定の精神状態を維持する
きっと、人それぞれ一定の精神状態には特徴があるかと思います。
私は私の人生しか分からないので、なんともいえないのですが、一つだけ思うのは、越えられないほどの困難はやってこないということ。
もしそれ以上のことが起きるなら、それは悲観的でも、かわいそうなことでもなく、単純にこの世を卒業するときが来たということなのだと思っています。
無理矢理、何かを考えることをやめると、自然と無の境地にたどり着きます。
なんだか、宗教のようになってきましたが、この心づもりのコツを覚えると、日々を送ることの不安が少し解消されます。
いろいろなことを経験して、ある程度の慣れは必要ですが、慣れてくるとなんとなくやり過ごせます。
やり過ごす間に、とてもいいことが起きたりもするのです。
その繰り返しなのだと、今は思っています。
人生はジグザグの右肩上がり
いろいろ人生経験をすると、気持ちがこなれてきます。
私もまだまだ未熟なので、弱音もたくさん吐きますが、それでも若い頃には耐えられなかったことでも、なんとなくやり過ごすことが出来るようになりました。
これからもたくさん大変なことが起きるのだろうと思いますが、おそらく人生は右肩上がりなのだと思います。
心が強くなる、というよりは、しなやかになります。
いいことがたくさん起きるようにはならないのですが、波乗りが上手になるように、荒波を拙いながらも乗りこなせるようになるような気がします。
最後にまとめてみます
書いている私も、とっちらかってきましたので、まとめてみます。
・執着を自覚します
・自ら断ち切る、出来なければ流れに身を任せます
・やり過ごせるときが来ます
・その状況に慣れてきます
・生き方上手になれるかもしれません
書き散らかしてしまいました。
大変申し訳ありません。
もし何かの参考になれば幸いです。
私が今まで経験したことから、感じたことを書きました。
あくまでも、「私、kotone、の」経験からのお話です(^-^)
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